知られざるフィリピンを訪ねて ~ルバング島編~

  • 2016/10/09
  • Philippines

ルバング島

前回に引き続き、お次はルバング島です。ミンドロ島と比べて1/15ほどの小さな島で、ミンドロ島からも見える位置にあります。マニラからバスでナスブまで行き、船で2時間半の場所にあります。

なぜこの小島に行くかというと、第二次世界大戦後29年もの間ジャングルに潜んでいた日本兵・小野田寛郎(おのだ・ひろお)さんがいた、まさにその地なのです。

ナスブからは早朝に一本船が出ているのみなので、この日は一泊してからルバング島へ向かうことにしました。


街にはスペイン植民地時代の建物がちらほらと見られ、その時から残る教会を改装したレストラン”KAINAN sa Dalampasigan”でディナー。フィリピン風のガーデニングで植物と調和された外観、開放的な内部には凝ったスペイン風の調度品、もちろん食事もおいしく、ナスブを訪れたらぜひ立ち寄って欲しいレストラン。トライシクルのドライバーにいえば大抵の人は知っているので、連れてきてもらってみては。

シネガン(酸っぱいタマリンドという豆を使用した定番スープ)などのフィリピン料理はもちろんですが、カリフラワー(フィリピンでは北部ルソン島ぐらいしか見ないので珍しい)を使った料理などもあり。

天井が高く、かつての大聖堂ぶりを思い起こさせる。教会のリノベーションは、カトリック教徒がいまも国民の約90%のフィリピンでは珍しい。

翌朝はルバング島へ、ナスブ港からいよいよ出発!

ナスブ港。観光客はおらず、島に帰る人や仕事で港を使う人のみ。

地元の人に混じって船に乗り込むと、けっこう揺れるので気持ち悪くなる人も。私も酔い止めにと甲板にずっと出て海風を浴びていました。

ルバング島が見えると、事前に小野田さんの手記を読んでいたので、あの山が蛇山か、とか手記にあった地理を島影から想像してすっかり興奮状態。

ルバング港に到着すると小さく素朴な街があるのみで、外国人の私たちはとても目立ちました。小野田さんが発見されて日本で話題になった当初は、その足跡を辿って日本人も多くやってきたそうですが、今はその影はありません。

ひとまずホテルで食事を取り、小野田トレイル入りへの英気を養います。

港近くのホテルは新築できれいな上、食事も野菜が豊富でおいしい。特に島で養殖しているエビは絶品!

小野田トレイル

今は知らない人も多いですが、第二次世界大戦中に旧日本軍は、アメリカとフィリピンの連合軍との戦争をフィリピン全土でしていました。小野田さんがルバング島に来たのは終戦を翌年に控えた、今(2016年)から約70年前の大みそかでした。

日本占領時代の名残、古いフィリピン紙幣。島のおじいさんが、さらにそのお父さんが持っていたものを持っていて見せてくれた。

ルバング島の海沿いの道は、のどかな田園風景が広がる。

今は小野田さんが潜んでいたいくつかの拠点を巡る「小野田トレイル」という観光地になっており、ガイドの案内のもとジャングルを巡ることができます。

私たちも港付近からそのジャングルへとガイドとジプニー(フィリピン特有のジープとミニバスを合わせたような自動車)に乗って一緒に向かいました。

山道は舗装されておらずジプニーも古くてガタガタ。道なき道をゆく。

小野田トレイルの入り口に到着する前でジプニーが倒木で通れなくなってしまい、少し長めに歩くことに。

ルバング島は中心部にいくつかの山が連なり、もともとスパイとして訓練を受けていたこともある小野田さんは拠点や挙動を把握されないように移動を繰り返し、ルートも頻繁に変えていたそう。

観光用マップ。山が多いことがこの地図からもわかる。

しばらく歩くとアップダウンの多い地形に息が上がってきます。雨期を除いて毎日移動を続けていたなんて、投降した時には52歳だった小野田さんの体力に頭が下がります。

川は澄んでいてきれいだった。ここで小野田さんは水浴びをしていたそうだが、寄生虫を警戒して生水は飲まなかったそうだ。

フィリピンの雨期は激しいスコールが突如降ることを1日に何回も繰り返すため、山の中で移動しつづけることは困難。小野田さんは雨期の間はいくつかの洞窟を拠点として、一定期間滞在したあとに移動していたそう。

洞窟内は寝床になりそうな場所も見られましたが肌寒く真っ暗で、天井に鈴なりになっていたコウモリは不気味でした。こういった所にずっと滞在していたことがどういうことなのか、わずかながら身に迫って感じられました。

小野田さんは長らく傾斜のあるところで眠っていたために、帰国後も平らなところで寝ることができず、ベッドをやや斜めにしていつも寝ていたそうです。

拠点となった洞窟周辺は切り立った岩場が続き、かなり急斜面で時たまロープを使って登り下りをした。

洞窟は四つほどあって、その内の二つだけ巡ったのですが、それでも道のりの険しさで足元はふらふら。繰り返しになりますが、毎日のように山中を移動し続けるなんて、考えただけで卒倒しそうになりました。

洞窟のひとつには、叩くと綺麗な音が洞窟内に反響する岩があった。

また毒蛇やアリ、デング熱などを媒介する蚊がかなりおり、小野田さんもジャングルに住む生き物たちにはかなり手を焼いたそう。

中にはこんなユニークなかたつむりも。

日が暮れそうな時間に差し掛かり、急ぎ足で戻る。ガイドなしではとてもじゃないけど迷ってしまう、複雑な地形でこれといった目印もない。大戦中に使用された地図は縮尺や地名などが正確でないことも多く、通信もかなり不安定だったと資料で読んだことがあります。

そんな中で生活用品全てを背負い移動し続けた小野田さんの信念は途方もないものだと思いました。

最後に

フィリピンの人びとは人を傷つけることを嫌う心優しい人びとばかりなので、ルバング島の人に大戦中の日本軍の行為について面と向かって批判を受けることはありませんでした。

意外だったのはガイドが教えてくれた、手記にはあまり描かれていなかった現地の人との交流でした。物資を得るために一部の人とコンタクトを取っていた小野田さんは、野草の薬としての使い方などを教えたりしたこともあったそうです。また彼が長く山に潜んでいたために自然破壊が行われず、今も豊かな自然が残ったという一面も。また小野田さんの投降した年に生まれた男性が、「オノダ」と名付けられたことを教えてくれました。

これは実際に来てみなければわからなかったことだし、本当に来れてよかったと感じました。






●ルバング島に実際に行ってみたい方

現地市役所の観光課にお問い合わせください。(英語)

MUNICIPAL TOURISM COUNCIL AND TOURISM OFFICE

Municipal Bldg., Poblacion Lubang, Occidental Mindoro

・TEL : +63921-422-4387

・MAIL: lubangtourism@gmail.com

・WEB : www.facebook.com/lubang.tourism

●小野田さんについて詳しく知りたい方

手記など著作がいくつか出ているほか、投降するよう説得を行った鈴木紀夫さんの著作などを読んで知ることもできます。

【参照】

・手記「わがルバン島の30年戦争」 小野田寛郎著

・「大放浪:小野田少尉発見の旅」 鈴木紀夫著

●レストラン 【KAINAN sa Dalampasigan】






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