インドネシアの暮らし

  • 2015/02/01
  • Indonesia

憩いの小屋ポスロンダ

インドネシアでは稲が3期作でつくられている。11月、今年最後の稲が実って青々とした田園風景が広がり、水田を吹きぬけてくる爽やかな風がとても気持ちいい。南国らしい背の高い椰子の木々は直線に植えられていて、里芋のようなタロイモの大きな葉は畦道に並んでいる。鶏が雛をつれて畦道を散歩していたり、トンボが稲の上を行ったり来たりしている。ポスロンダと呼ばれるドアもない簡易小屋が集落の入り口や水田の間に点在している。床は1mほど高くなっていて、ポスロンダの中で座っていると昼間でも涼しく感じる。

このポスロンダは、夜中に集落の見張りをするために使われたり、畑仕事の休憩に使われたり、井戸端会議に使われたりと、自由に人が出入りできるようになっている。そのため、誰のものかわからない飲みかけのお茶やタバコが置きっぱなしになっていることがよくある。女の子たちがポスロンダの柱に長い布を括りつけて可愛らしいお家にして遊んでいたこともあった。

父親のいない子ども、ヤティーム

子ども達の体重測定もポスロンダで月に一回行われている。この体重測定は行政が無料で行っており、できるだけ多くの子ども達が参加するようにボランティアの方々が参加した子ども達にお菓子を配っている。インドネシアには今でも貧困層の家庭が多く、こうした定期健診は地域の子どもたちの健康状態を調べるためにもとても大切なことだと思う。

インドネシアの貧困問題はとても深刻で、その日暮らしの生活をしている家庭は残念ながらどの地域にも存在する。一家の働き手である父親のいない子どもはヤティーム(Yatim)と呼ばれ、そうした貧困下で暮らしている例が多い。{母親のいない子どもはピアトゥ(Piatu)と呼ばれる。}

イスラム教徒の人口が多いインドネシアでは(どの宗教でも貧困下の人々には親切にすると思うけれど)、特にヤティーム(父親がいない子ども達)に対する援助が積極的に行われている。それはイスラム教の教えのひとつに孤児に対する援助の義務があるためで、コンビ二やショッピングモールなど人が集まる場所には必ずと言ってもよいほどヤティームのための募金箱が備え付けられている。もちろん貧しいピアトゥの子どもたちに対しても援助が行われる。ただし3世代が一緒に暮らすことが多いインドネシアでは、親戚一同でヤティームやピアトゥの子どもたちを育てることが多いため、家庭が貧しくても子どもたちの社会性はわりと健全に育っている例が多いように思う。

貧困から抜け出せない子どもたち

先日インドネシアの大統領選挙で当選したジョコウィドド氏(通称ジョコウィ)は貧しい家庭で生まれたがビジネスを成功させて、その財力と信頼でのし上がってきた珍しい庶民派大統領だが、大統領選挙でジョコウィドド氏の対立候補だったプラボウォ氏は親が教授をしており、自身は学生時代から海外で学びインドネシア特殊部隊の司令官を経てインドネシアの政治家に転身したエリートである。

通常はインドネシアの貧しい家庭の子どもたちが世界へ羽ばたく機会はほとんどない。一方で、裕福な家庭の子どもたちは海外(シンガポールが多い)で教育を受けた後、エリートの道を突き進んでいくのだ。

Laskar pelangi〔邦題:虹の少年たち〕は海沿いの田舎の小さな小学校を舞台に、主人公(イカル)と彼の個性的な友人たちの姿を生き生きと描いたインドネシア映画である。なかでも恩師が去った後、先生がいない教室でたった一人机に座って勉強を続ける少年(主人公の友人:リンタン)の場面が印象的だった。貧しい漁師の家庭で暮らす彼は学問の才能はあるけれど、子どもにはどうすることもできない事情で学校を辞めることになる。それから何年か後、大人になったその少年は昔と変わらず貧しい家で暮らしていて、彼が少女と一緒に、小学校時代の友人からの手紙を誇らしげに眺めている場面はなんだか切なくなってしまった。しかし同時に、リンタンが肩を抱く少女に少し希望の光を感じたのだ。この映画はAndrea Hirata氏が書いた小説がもとになっていて、その小説は日本語にも翻訳されているので機会があれば読んでみていただきたい。インドネシアの貧しい家庭の子どもの目線で書かれているので、彼らの気持ちや暮らしを理解していただけると思う。インドネシアには実際に彼(リンタン)のように飛び立つチャンスを奪われてしまっている子どもたちが大勢いる。才能ある学生たちが彼らの才能を思う存分伸ばし社会に飛び立てるような国になってほしいと思う。そして貧しい家庭出身のジョコウィドド氏が大統領に当選したことは、インドネシアが変わりつつある兆しなのだと思いたい。

私が以前住んでいた札幌にヌサンタラインドネシア文化交流会というものがあって、現地で働くインドネシアの先生と札幌で留学していたインドネシア人留学生と協力して貧困家庭に暮らす子どもたちを対象とした資金援助を行っている。主人は今でも協力を続けているのでたまに援助を受ける学生たちからの手紙を読ませてもらっている。そこにはいつも、将来の夢やいつか両親を幸せにしたいという願いが書かれていてインドネシアの子どもたちの純粋な心に感動してしまう。

インドネシアのテレビ事情

インドネシアでテレビを観ていると、ハリウッド映画などの中で不自然なモザイクがかかっていることがよくある。モザイクで隠されているのは俳優が吸っているタバコや女優の胸の谷間などである。ディズニー映画であってもキスシーンなどはカットされている。時々見落としたのか、モザイクがかかっていない場面も映るけれど大抵は丁寧に編集されている。こういう配慮は未成年者の為なのか宗教上の為なのか知らないけれど、親としては安心して子どもにテレビをみせることができるから良いことかもしれない。ただ、時々不自然なモザイクに目が行ってしまって肝心の映画に集中できないこともある。

インドネシアのテレビでも日本と同じくバラエティやニュースなど様々な番組が放送されている。少し前までは毎晩生放送でジョゲットというハイテンションな踊りを踊って始まり踊って終わるような見るからに過酷そうな生番組が流行していたがいつの間にか姿を消してしまった。今私が注目しているインドネシアドラマはNET.TVで放映されているtetangga masa gitu?(お隣さんってそんな感じ?)である。結婚生活十数年のカップルと新婚数周目のカップルのお隣さん同士の対比が面白い。正直インドネシアのテレビドラマは、ほとんどが日本の昼ドラのようなドロドロした愛憎劇か現代版SFドラマか少女マンガのような恋愛ドラマという印象だ。国産のドラマよりも輸入ドラマの方が人気が高いように思う。少し前までは日本と同じく韓流ドラマが流行していたが、今はインドのドラマが流行している。とりわけ毎晩夜9時から放映されているマーハバラタ(Maha bharata)の視聴率が高い。このドラマは古代インドの叙事詩を元にしているためストーリーがなかなか面白い上に、舞台や衣装がとても凝っていて映画を観ているような気分になる。それに何と言っても主演者のインド人男性や女性がとても素敵だ。

インドネシアのテレビと日本

インドネシアのテレビに出演しているユキカトウ(yuki katou)、Alwi Yoshida Assegaf、COWCOW(あたりまえ体操)、JKT48などは日本と関わりが深い人たちである。彼らが出演しているとついついテレビを観てしまう。ドラえもん、クレヨンしんちゃん、キャプテン翼、特撮ヒーローもの、るろうに剣心は昔からインドネシアの方々に人気がある。最近はドラえもんの映画「STAND BY ME ドラえもん」が映画館で上映されていて、大好評だそうだ。特撮ヒーローものは今まで日本からの輸入物が多かったけれど、石森プロとインドネシアのMNCグループが共同制作した「BIMA Satria Garuda」とその続編「Satria Garuda BIMA-X」の人気が上がってきている。最初の作品のオープニングとエンディングの曲である「Seperti Bintang(スプルティ・ビンタン)」は人気歌手グループUnguが歌っていて、迫力がありかっこいい特撮ヒーローにぴったりの曲だった。

ちなみにインドネシアのテレビでは今でも、「TVチャンピオン」が放映されている。ちょっと前までは「痛快なりゆき番組風雲!たけし城」も毎日昼間にあって、とても懐かしい気分になった。それにインドネシアの方々が日本の番組をお茶の間で楽しんでいると思うとちょっと誇らしく思うのである。






【参考】






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